【エピソード1】史上初の1年延期となった東京2020大会。この1年を「強くなる」ための1年に。
開催が危ぶまれる不安な気持ちと心の葛藤。
そして、大会直前で延期が決定。
2020年2月。東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会(以下東京2020大会)の開幕まで半年を切った頃、僕は東京2020大会での金メダル獲得に向けて、アメリカのボルティモアを拠点にトレーニングを続けていました。3月になると、新型コロナウイルスの感染が世界中で拡大し、さまざまなスポーツ大会が中止に。いつも練習していたプールが閉鎖になるなど、その影響はアメリカでも急速に広がりを見せていました。東京2020大会が開催されるかどうかもわからない中で、少しでも油断すると、不安が全身を駆け巡ってメンタルを持っていかれる。だから無理をして自分を追い込み、体に負荷をかけることで雑念を抱く余裕をなくそうとしましたが、プールはおろか、いつも通っていた寮の食堂も閉鎖になり、生活が立ち行かなくなってしまい日本へ緊急帰国。ほどなくして東京2020大会の延期が決まりました。たくさんの人の支えがあって実現したアメリカでの日々、リオ2016パラリンピック競技大会以降すべてを捧げてきた生活がぷつりと突然糸が切れるように終わってしまった瞬間でした。
失われた感覚を取り戻し
「延期の1年」を「強くなるための1年」に。
自粛期間中はどの試合も軒並み中止になり、泳ぐこともできず、練習を再開した時にはそれまであった試合感覚や自信は失われていました。私たちパラ水泳のアスリートには「シーズンオフ」がほとんどなく、どんなに休みを取ったとしても1週間程度。競技生活を振り返っても、こんなにプールに入らなかったことは初めての経験です。技術面でも体力面でもゼロからやり直すような感覚となり、「また1年間練習しないといけないのか」というやるせない気持ちを抱えながら練習を再開することになりました。それと同時に、この1年の間に大きな大会は開催されないだろうということは予想できました。これまでの「続きの1年」ではなく「新しい1年」と冷静に受け止めて、今までできなかった豊洲の低酸素トレーニング施設での練習や長野での高地トレーニングにも積極的に取り組むように。ただ泳ぐよりも、厳しい環境に身を置くことで日々のトレーニングに緊張感を持たせて、自分を強くする1年にしようと決意しました。
金メダルを獲るために、ひたすら泳ぎ続ける。
その後もなかなか自己ベストを上回ることができず、金メダルへの道のりの険しさを思い知りました。元々自分に自信があるタイプではありませんが、本来あった自信がどんどん削られていって、何をするにしても不安でした。コーチをはじめ、周りは大丈夫と言ってくれましたが、新型コロナウイルスという見えない敵との戦いや、大会が開催されないかもしれない不安、金メダルへの重圧に何度も心が押しつぶされそうになっていたことを覚えています。でもどんなに苦しくても、トレーニングを休んだり、モチベーションが下がったりすることはありませんでした。それは、何をするにしても「金メダル」が頭の中について回る「呪い」にかかっていたから。どんな色のメダルよりも、ただ一つの金を獲るために。孤独や不安と向き合いながら、東京2020大会は、無観客という形でなんとか開催となり安堵しました。