東京ガスグループトピックス
東日本大震災から10年◆3.11その時東京ガスは? これからの想い
2021年3月11日
東京ガス防災・供給部の水上です。2011年3月11日に発生した東日本大震災から、本日で10年が経ちます。被災された皆さまおよびご家族の方々に、心よりお見舞いを申し上げます。
私も復旧作業に実際携わったあの日から10年となった今日、改めて当時の東京ガスの取り組みを振り返りました。
◆3.11 その時、東京ガスエリアでは◆
3月11日14時46分、宮城県三陸沖でマグニチュード9.0の巨大地震が発生し、東京ガス管内の日立市では震度6強、都心でも震度5強から5弱の揺れを観測しました。
そのため神奈川県横浜市や茨城県の一部と日立市全域で、安全確保のため都市ガスの供給を停止しました。
また広範囲にわたりガスメーターの安全装置が作動し、ご家庭などで一時的にガスがご利用いただけない状況となりました。
◆お客さまの安全確保に向けた初動対応◆
非常体制のもと、直ちに製造設備を点検、高圧導管のパトロールやガスホルダーなどの重要施設を点検し、状況把握に努めました。
一方、ガスをお使いのお客さまに対しては、地震による被害が心配される病院をはじめ、工場や施設の稼働状況の安全確認を進めました。
また、強い揺れを感知して自動停止したマイコンメーターに関する問い合わせの集中が想定されたため、お客さまセンターの受付体制を拡充するとともに、ガス漏れなどに対する緊急出動に即応できるようにしました。
◆一週間で「復旧」した日立地区◆
横浜市の1地域、茨城県の2地域の588戸については3月11日の深夜までにガス供給を再開しました。
震度6強の烈震に見舞われ、電気・水道も含めすべてのライフラインがストップした日立地区30,008戸については、関係会社・協力企業を含む東京ガスグループの復旧要員が総力をあげて復旧活動に取り組みました。
阪神・淡路大震災や新潟県中越地震、新潟県中越沖地震など、過去の復旧応援での経験や日頃の防災訓練を踏まえた活動を展開し、地震翌日の3月12日に日立総合病院でのガス供給を再開したのに続き、地震から一週間で、家屋の倒壊や都合により供給の再開を希望されない場合を除いて、すべてのお客さまへの供給を再開することができました。
復旧にあたった人員は東京ガスグループで延べ3,052名、1日最大711名にのぼりました。
◆被災地の復旧応援活動◆
一日も早くお客さまにガスを届けたい!
東京ガスグループは、震災の被害が大きかった関東・東北圏の他ガス事業者の復旧応援にも全力を注ぎました。


津波は2階の屋上にまで達し、製造設備はほぼ水につかり、供給不能になっていました。
約36万戸が供給停止となった仙台地区では、最大1,600名体制で復旧応援に取り組みました。
各ガス事業者と情報共有を図りました。
続く余震や復旧を阻む厳しい環境のなか、一日も早くガスを届けたいとの使命感を胸に、東京ガスグループの連携した復旧作業が続きました。
お客さまの笑顔や言葉が今でも心に残る
◆浦安の液状化・復旧作業 ◆
私(防災・供給部の水上)は、液状化現象の起きた千葉県浦安市で復旧作業をおこないました。
当時、都心エリアのガス導管の維持管理を行う部署におりましたが、発災から5日後、京葉ガスさまの浦安エリアへ復旧小隊長として出発しました。
液状化によって地表面に噴出した砂が嵐のように舞い、道路からはマンホールが飛び出し、道路と敷地には30cm近くの段差が生じているなど、都心からわずかな距離の場所での惨状に大きな驚きを感じました。
液状化で損傷したガス管の中には、シャーベット状になった水や土砂が大量に流入していたため、酷い箇所はすべて管を取り替えなければならず、作業は困難を極めました。
しかし建物自体の被害は少なく、住民の方々は一刻も早いガスの再開を心待ちにしていたことから、隊員・関係者一丸となって昼夜を問わず作業に邁進し、応援開始から2週間でガスの復旧を完了しました。
ガス再開時のお客さまの笑顔や感謝の言葉は今でも心に強く残っており、それを原動力として現在の職務である防災業務に精進しています。
東京ガスグループはこれまで地震などの自然災害に対して、安全な製造・供給システムを構築し、都市ガスの安定供給に力を注いできました。東日本大震災等を踏まえ、環境の変化や技術の進歩などを見極めつつ、さらなる安全性の向上に向けて必要な対策を検討・実施していきます。
▼東京ガスの安全・防災の取り組みについてはこちらから
https://www.tokyo-gas.co.jp/anzen/