東京ガストピックス

◆今日は「何の日」? ◆ 「銀座通り」沿いにガス灯灯る

2020年12月18日

今から146年前の今日、明治7年(1874年)12月18日に、芝金杉橋から京橋までの「銀座通り」沿いに85基のガス灯が灯りました。これが、東京におけるガス事業のはじまりとなりました。
 
はじめ公営であった東京のガス事業は、のちに社長となる渋沢栄一の手腕により発展し、明治18年(1885年)に民間会社「東京瓦斯会社(現:東京ガス株式会社)」となりました。

◆銀座通りへのガス灯設置 ◆

横浜で日本初のガス灯が灯った明治5年(1972年)から2年後、東京会議所では横浜のガス灯設置に携わったフランス人技師アンリ・プレグラン協力のもと、ガス灯建設の計画実行にあたりました。

アンリ・プレグラン (1841年~1882年)

ガス製造工場を芝浜崎町(現:東京ガス本社所在地)に建設し、プレグラン自ら実測のうえ銀座通り沿いにガス街灯が建設され、明治7年(1874年)12月18日に京橋まで85基のガス街灯が点灯しました。

『東京瓦斯燈市街埋簡図絵』 アンリ・プレグラン 明治7年(1874 年)

この図面は東京の街中にガス街灯を敷設するため、アンリ・プレグラン自身が作図したガス埋設管図です。図面右下には直筆のサインも記されています。
図面下のガス工場が置かれた芝浜崎町の地から、ガス管は新橋、銀座レンガ街そして日本橋の先で分岐し、一方は両国橋方面へ、もう一方は万世橋まで伸びています。

当初は京橋までの85基のガス街灯が点灯し、その間隔は、金杉橋から新橋までは約45mごとに、新橋からは約27mごとに建てられました。

◆ガス会社の誕生 ◆

東京のガス事業の運営は当初は東京会議所が行っており、ガス街灯の使用料を収入源としていたものの運営に支障をきたしていました。このような状況で、ガス事業の運営を立て直すために請われたのが渋沢栄一でした。

東京ガス創立者 渋沢栄一 (1840年~1931年)

明治9年(1876年)5月に東京府の経営となったあと、屋内でのガス灯利用が軌道に乗ったこともあり運営に道筋の見えた東京のガス事業は、明治18年(1885年)に民間に払い下げられ、東京瓦斯會社(現:東京ガス株式会社)として生まれ変わりました。
その運営は引き続き渋沢栄一が担うこととなり、現在に至るまで135年続く民間会社としての礎を築くこととなりました。

◆「銀座通りのガス灯」に関する「錦絵」をご紹介◆

この頃流行った錦絵には、色鮮やかなガス灯が描かれ、小説や映画のバックとしても場面を盛り上げました。

『東京名所 京橋銀座通里煉化石瓦斯燈景ノ図』 歌川広重(三代)<明治13(1880)年 木版画>

銀座煉瓦街が始まる京橋付近の風景を描いています。「千里軒」の名称がある盛合馬車の進む先に、京橋があります。通りの車道側には街路樹として「桜」「松」「楓」植えられていますが、その後枯れてしまい「柳」が植えられました。
一方歩道側には、最初ガス燈は京橋まで85基のガス燈が灯りました。

『東京名所図会 銀座通り煉瓦造』 歌川広重(三代)<明治12(1879)年 木版画>

自動点火装置やタイマーなどがない当時のガス街灯には、決められた時間に点消作業をおこなう人物がいました。
一般的には「点灯夫(てんとうふ)」と言われ、東京ガスでは「点消方(てんしょうかた)」と呼ばれました。彼らは「点消方」と分かる半纏(はんてん)を羽織り、火種のついた棒(当初は2本、後に1本)を持ち、50本から多い人は100本近くのガス街灯を受け持っていました。

『東京名所図会 する賀町三ッ井銀行』 歌川広重(三代)<明治11年(1878年) 木版画>

現在の銀座三越付近を西方向に眺めた風景を描いています。
日本橋から北に伸びる通りにはガス燈が立ち、人力車の進む先には大手町の官公庁街が広がっていました。

写真 駿河町三井組 「明治大正建築写真聚覧」より 昭和11年(1936年)

上記錦絵『東京名所図会 する賀町三ッ井銀行』とほぼ同じ風景を撮影した写真です。
ガス燈の他、屋根に鯱を備えた「三井組」の建物姿など、錦絵がかなり正確に描かれていることがわかります。

◆東京ガス ガスミュージアム◆

東京都小平市にある東京ガスの企業館「ガスミュージアム」では、明治時代の錦絵を400点以上所蔵しています。
主に企画展で錦絵をご覧頂けるほか、日本のガスの事業の歴史と、くらしとガスのかかわりをご紹介しています。
 
▼「ガスミュージアム」についてはこちら
https://www.gasmuseum.jp

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