それまで使っていた薪や炭などと比べると、いつでもすぐに使いたい分だけ使え、つけたり消したりすることがかんたんで、炎の強さが自由に調節できるなど、多くの点ですぐれていました。
ガスを熱として使うことで、私たちの生活の中で一番大きく変わったのは台所でした。 それまでの台所の多くは、土間で薪や炭を使いしゃがんで煮炊きしていましたが、ガス器具が利用できるようになると、たったまま料理ができるようになり火の粉や灰が舞うことのない衛生的で近代的な台所に変わりました。
炎の強さが自由に調節できるガス機器が広まったおかげで、 おいしい料理を、これまでよりも楽に作れるようになったんだね!
大隈重信邸の台所
ガスレンジ | 食パン焼き器(トースター) |
ガスコンロ | 洗面用ガス湯沸かし器 |
ユンケルガスアイロン | ガス冷蔵庫 |
ガスエンジンは、1889年(明治22)にドイツから輸入されました。1892年(明治25)から、ガス会社は動力用のガス料金を灯火用より安くし、普及に努めました。
印刷工場やメッキ工場、機械工場などの動力はガスエンジンで発電した電気を使っていました。また、東京郵便局では照明用として、電気をつくっていました。
東京郵便電信局の作業風景
ガスエンジン
石炭を燃やす蒸気機関に比べて使いやすく安全で、当時は工場の動力として、また照明のための自家発電として活やくしていたんだね!
1923年(大正12)の関東大震災で、東京・横浜は大きな損害を受けましたが、ガス工場などの発火は1件もありませんでした。お客さまに早くガスをお使いいただくため、必死の復旧作業にあたりました。
1945年(昭和20)8月15日、戦争は終わりましたが、焼け跡ではあちこちでガス管が壊れ、ガスが漏れていました。そんな中、全国のガス会社は、ガス管を掘り起こして修理を開始、ガスもれがないかどうか、においをかぎながら作業しました。食べるものも満足になく、修理のための材料も不足していましたが、ガレキの中でみんなが一生懸命、真っ黒になって作業にあたり、ガスを復旧させました。
火災が多かった関東大震災でもガス工場は大丈夫だったんだね!
戦争の焼け跡での復旧作業
(ガスミュージアム壁画)
1900年ごろ(明治30年代)になると、明かりとして使われてはじめたガスの炎は、料理をしたり暖まるときの「熱源」として利用され始めたんだよ!