東京ガス130年、挑戦の歴史

ほのかなガス灯のあかりは、いつしか人々の暮らしを照らし、
社会を支えるエネルギーになりました。
東京ガス130年、挑戦の歴史を振り返ります。

ほのかなガス灯のあかりは、いつしか人々の暮らしを照らし、社会を支えるエネルギーになりました。東京ガス130年、挑戦の歴史を振り返ります。

文明開化の街と人々の暮らしをあかりで照らす
ガス灯事業の推進、そして家庭用機器の開発

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1902年に特許取得した日本最初のガス器具(瓦斯竈)

1902年に特許取得した
日本最初のガス器具(瓦斯竈)

マントルは、ガス灯の明るさを飛躍的に向上させた

マントルは、ガス灯の
明るさを飛躍的に向上させた

1872年、現在の横浜市の馬車道通りに、ガス事業として日本で初めてガス灯がともされました。ガス灯は文明開化の象徴とされ、やさしく柔らかな光で街を包みました。

当時、ガス事業は官営でしたが、民営の事業としてさらなる普及を目指すべきであるとの声が高まる中で、東京府瓦斯(がす)局長であった渋沢栄一が中心となって、1885年10月1日、民間企業である東京瓦斯会社を創立しました。

ガス灯は当初裸火でしたが、ガスの火口に木綿などの糸で編んだ網袋に発光剤(トリウムおよびセリウム)を吸収させたマントルを付けることで、青白い光を放ち、5倍もの明るさになりました。東京瓦斯においても「明星マントル」「金星マントル」といった独自銘柄の製造を行うなど、マントルの着装でガス灯は一層の普及を遂げました。

明治時代後期、ガス灯事業は全盛を迎えたものの、やがてガス灯から電灯にその役割を移していきます。一方で、ガスの用途は、学校においては化学実験、活版所では鉛の溶解、その他暖房用など、燃料用としてさまざまな分野に広がっていました。さらに、一般家庭への普及を目指して、ガス炊事器具の開発にも取り組み、1902年には炊飯竈(かまど)を考案・実用化し、専売特許権を得ました。

料理店や旅館だけでなく、一般家庭でもガスコンロは使われはじめ、1913年には第一回料理講習会を開催。その後も大正時代にはお風呂やストーブ、アイロンなど暮らしを快適にする機器も登場し、ガスは暮らしに欠かせない、身近なエネルギーとなっていきました。

1902年に特許取得した日本最初のガス器具(瓦斯竈)

1902年に特許取得した
日本最初のガス器具(瓦斯竈)

マントルは、ガス灯の明るさを飛躍的に向上させた

マントルは、ガス灯の
明るさを飛躍的に向上させた

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経済成長、環境問題。
日本の未来のために天然ガスを供給する
LNG(液化天然ガス)導入。エネルギーは新時代へ

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17年もの歳月をかけて実施された、熱量変更作業

17年もの歳月をかけて
実施された、熱量変更作業

関東大震災からの復興、太平洋戦争の終結など目まぐるしく時代が変遷する中で迎えた昭和の高度経済成長期。エネルギー需要の増大に伴い、石油系エネルギーに代わるクリーンで高カロリーなエネルギーとして天然ガスは注目を集めていました。

東京ガスは海外の豊富な天然ガスに着目し、これを輸入するための検討を開始。当時は天然ガスの輸送方法が確立されておらず、冷凍液化技術などに諸課題がありました。東京ガスは、欧米におけるLNG(液化天然ガス)実用化の研究結果とLNG 輸入についての調査を進め、導入に向けたプロジェクトを立ち上げる一方、根岸工場ではLNGタンク4基の建設に着手。1969年10月に建設工事が完了し、受け入れ態勢が整いました。

そして、同年11月、アラスカから3万トンのLNGを満載したLNGタンカー第1船「ポーラ・アラスカ号」が根岸工場に着桟し、ついに、LNG時代の幕が開きました。

天然ガスの普及によって、供給するガスの熱量をこれまでよりも高カロリーなものへと変更する「熱量変更」(5,000kcalから11,000kcal)の作業が、1972年から1988年にかけて実施されました。お客さま一件一件を回り、ガス器具を調整する地道な作業は、〝未来をひらく新しい炎をともす〞という強い思いのもとで進められました。17年間、延べ750万人の社員が力を注いだ結果、より多くのお客さまの元へと安定的な供給を実現。天然ガスは、主要エネルギーとして日本の発展を支えていくことになりました。
(現在、根岸工場は根岸LNG基地に改称)

17年もの歳月をかけて実施された、熱量変更作業

17年もの歳月をかけて
実施された、熱量変更作業

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新たな工場、幹線。
多くのお客さまへガスを安全にお届けする
首都圏を支える、工場と天然ガス環状幹線の建設

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袖ヶ浦工場(1973年)

袖ヶ浦工場(1973年)

1967年、首都圏の激しい人口増加が進む中、エネルギー需要の増大に対する天然ガスへの期待に応えていくことを目的として作成された事業計画に、新工場の建設とともに天然ガス環状幹線の建設計画が盛り込まれました。

新工場の候補地は、LNG(液化天然ガス)大型タンカーの着桟、工場からの輸送導管の敷設などを考慮して慎重に検討を重ねた結果、千葉県袖ケ浦市に決定しました。こうして、1971年、袖ケ浦工場の建設を開始すると同時に、新工場と根岸工場を結び、首都圏を環状に通す都市ガス高圧輸送導管の建設にも着手。既存の横浜市の根岸工場と、新たに稼働する袖ケ浦工場を二大製造拠点とし、海底幹線を含む両工場からのループ化された輸送幹線によって、お客さまの暮らしを支える安定供給体制の構築を目指しました。

そして、1973年に袖ケ浦工場が稼働、1976年に天然ガス環状幹線(袖ケ浦工場〜根岸工場間)が稼働を開始。これにより、ガス品質を安定させるとともに、より多くのお客さまの元にもガスをお届けできるようになり、都市ガスは多くのお客さまの暮らしに役立てられるようになりました。
(現在、根岸工場は根岸LNG基地、袖ケ浦工場は袖ケ浦LNG基地に改称)

袖ヶ浦工場(1973年)

袖ヶ浦工場(1973年)

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クリーンな天然ガスで、多様なニーズにお応えしたい
天然ガスコージェネレーションシステムの誕生、普及

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国立競技場に日本で初めて導入された、天然ガスコージェネレーションシステム

国立競技場に日本で初めて
導入された、天然ガス
コージェネレーションシステム

1980年代、ガス販売量における工業用の割合が年々増加していた背景には、第一次石油危機以降、政府の代替エネルギー政策の推進とともに、都市ガスへのクリーン・エネルギーとしての評価の高まりがありました。東京ガスでは都市ガスのさらなる効率的な活用を目指して、工場などで使われる特殊バーナーや大型の吸収式冷暖房機、ボイラーなど種々のガスエネルギーシステムを開発。さらに電機メーカーなどとの共同研究により、ガスエンジンの開発にも尽力しました。このような技術開発の流れの中で誕生したのが、天然ガスから電気と熱を生み出し、冷暖房や給湯などに活用する天然ガスコージェネレーションシステム(CGS)です。

1981年8月、日本初のCGSフィールドテストが、国立競技場で実施されました。ガスエンジンなどの本体機器は、東京オリンピック時のメインスタジアムである国立競技場内に設置し、同競技場の事務室やレストラン、控室などの冷房、温水プールやサウナへの温水供給を行いました。CGS は環境負荷の小さい天然ガスを使用し、さらにエネルギーを効率的に利用できるというメリットから、ビルや工場などに普及していきました。

国立競技場に日本で初めて導入された、天然ガスコージェネレーションシステム

国立競技場に日本で初めて
導入された、天然ガス
コージェネレーションシステム

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守る、という使命。保安を進化させるシステムをつくる
マイコンメーター、SUPREMEの導入

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マイコンメーター

マイコンメーター

ガスに対する安全性向上が求められる中、ガスメーターにマイコン技術を取り入れた安全システムを完成させるプロジェクトが1981年に発足。計量器であるガスメーターに保安機能を搭載するという、前例のない挑戦が始まりました。

流量計測などの実験を繰り返しながら、マイコン、遮断弁、感震器といった主要部品開発も同時に進行され、1983年、ガスの流れを常時監視しながら、地震時などにガスを遮断する機能を備えた「マイコンメーター」の開発がついに完了し、その使用が開始されました。

そして、1988年にはいよいよ全戸への無償設置を開始。マイコンメーターの普及によって、災害時などにおける安全性が向上し、これまで以上にお客さまに安心してガスをお使いいただけるようになりました。1995年の阪神・淡路大震災においてもその有効性が高く評価され、1997年の法改正により、使用最大流量が16m3/h以下のガスメーターには、マイコンメーターの設置が義務付けられました。

また、地震防災においては、2001年から地震防災システム「SUPREME(シュープリーム)」の運用が始まりました。供給エリア内の約4,000カ所の地区ガバナ(ガスの圧力調整器)に地震センサー(SI センサー)を取り付けることで、地震を感知するとガス供給を自動的に遮断するほか、遠隔操作による遮断も可能になりました。導入前は、作業員が個々の地区ガバナに出向いて供給を停止していたため、阪神・淡路大震災クラスの地震が発生した場合、停止作業に40時間かかると想定していましたが、SUPREMEの導入によってわずか10分に短縮。その後、地区ガバナでガス供給を遮断した後に、遠隔操作で再稼働させるガバナ遠隔再稼働装置が導入されるなど、お客さまの安心と社会を支えるために、現在も防災システムの進化に力を注いでいます。

マイコンメーター

マイコンメーター

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技術力を結集し、たえまない努力で世界初を生み出す
家庭用燃料電池「エネファーム」の発売

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※イメージです。実際の施工とは異なります。

※イメージです。
実際の施工とは異なります。

家庭用燃料電池は、化学反応で都市ガスを水素に変換して発電し、排熱をお湯として利用する省エネルギーおよびCO2削減に貢献する住宅設備です。東京ガスは、1970年代前半に米国の燃料電池開発プロジェクトに参加し、日本で初めて定置用燃料電池の実証を行いました。その後、1980年代から国産化に取り組み、1990年代後半に100~200kW級燃料電池コージェネレーションシステムの実用化にこぎ着けました。

1998年には家庭用の燃料電池開発に着手し、数え切れない試験を通じて、家庭で使える都市ガスを水素に変換するための触媒を完成させました。2005年からは、経済産業省の「定置用燃料電池大規模実証研究事業」に参画。そして、2009年5月、世界初の戸建向けの家庭用燃料電池「エネファーム」を発売するに至りました。その後、より多くのお客さまにエネファームをご利用いただけるよう、コストダウン、設置性、ユーザビリティーの向上を図り、3回のモデルチェンジ、停電時発電機能の追加を行い、2014年にはマンション向けエネファームをラインナップに加えるなど、現在も改良を重ねています。

エネファームはお客さまにご好評をいただき、2015年8月には、東京ガスの累計販売台数が5万台に達しました。日本再興戦略やエネルギー基本計画の中でも、2020年に全国で140万台、2030年に530万台の導入目標が掲げられており、今後さらなる普及が見込まれています。

※イメージです。実際の施工とは異なります。

※イメージです。実際の施工とは異なります。

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お客さまのそばに。充実のサービスで生活価値を高める
地域密着型お客さまサービス体制の構築へ。
東京ガスライフバルの設立

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東京ガスサービス店 店頭での調理実演イベントの様子

東京ガスサービス店
店頭での調理実演イベントの様子

当時のエネスタ

当時のエネスタ

1956年、東京瓦斯(がす)風呂指定商の中から器具委託販売店44店を認定し、ガス器具の委託販売を開始しました。さらに1958年には器具委託販売店の中から9店を委託サービスステーションとし、お客さまからの一般受付、ガス料金・工事代金などの収納も行うようになりました。こうした販売店などの設置の背景には、都市ガスの本格的な普及・拡大に応じて、地域に密着したお客さまサービスを実現したいという考えがありました。

昭和から平成にかけて、販売店は、東京ガスサービス店、東京ガスサービスセンター、エネスタと名称を変えていきます。一方で、エネルギーの規制緩和・自由化が進展していく中、東京ガスは2002年に東京ガス・カスタマーサービス株式会社を設立し、これまで東京ガスが行ってきた検針、料金収納、定期保安点検の各業務を移管しました。

その後、地域のお客さまのニーズにきめ細かく対応し、ガスのある快適な暮らしをご提案していくために体制を強化することになりました。そこで、2008年4月から設立が始まったのが、エネスタ、東京ガス・カスタマーサービス、東京ガスが三位一体となり、地域のお客さまの多様なニーズにワンストップでお応えする「東京ガスライフバル」です。「ライフバル」は、"お客さまに生活価値(Life Value)をご提案していく"という信念から名付けられました。また、東京ガスライフバルの後に、それぞれの地域名を入れ、地域のお客さまのライフスタイルに合わせてガスのある暮らしをご提案する「地域密着型お客さまサービス体制」への強い思いを込めています。
(東京ガスライフバルの設立は一部地域を除く)

東京ガスサービス店 店頭での調理実演イベントの様子

東京ガスサービス店 店頭での調理実演イベントの様子

当時のエネスタ

当時のエネスタ

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激動する時代の中で、
エネルギーの未来は私たちがつくる
「チャレンジ2020ビジョン」実現に向けて

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発電事業では、天然ガス火力発電所の扇島パワーステーション3号機が2015年度中に稼働予定

発電事業では、天然ガス火力発電所の
扇島パワーステーション3号機が
2015年度中に稼働予定

2011年3月11日に発生した東日本大震災は、甚大な被害をもたらすとともに、日本のエネルギーのあり方にさまざまな課題を提起しました。東京ガスグループは、「安心・安全な生活を支えるエネルギーセキュリティの強化」「日本の早期復興・持続的成長を支えるエネルギーコストの低減」「省エネ・省CO2 を支えるエネルギーシステムの革新」という課題に着実に対処していくことが、国民生活、産業活動の基盤となるエネルギーを安定供給していく上で重要であると、事業の方針を定めました。そして、2011年11月、「エネルギーと未来のために東京ガスグループがめざすこと。~チャレンジ2020 ビジョン~」を策定・発表し、2020 年に向けて東京ガスグループが進むべき方向とそこに至る道筋を明らかにしました。

東京ガスグループは、お客さま・社会・時代のニーズに応え、「豊かで潤いのある生活」「競争力ある国内産業」「環境に優しい安心できる社会」の実現に努力するとともに、企業の社会的責任を自覚し、地域と共生を図りながら、透明で公正な事業活動に取り組んでいます。これからも、お客さまの明るく、安心で、快適な明日を実現していくために、お客さまの一番そばで考え、行動し、ひたむきに挑戦を続けていきます。

発電事業では、天然ガス火力発電所の扇島パワーステーション3号機が2015年度中に稼働予定

発電事業では、天然ガス火力発電所の扇島パワーステーション3号機が2015年度中に稼働予定

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