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| 1967年、神奈川生まれ。2年間に渡るアラスカ〜カナダ〜アメリカを放浪中にシーカヤックと出会う。帰国後、エコマリン東京でインストラクターを経て、97年からシーカヤックのみの単独航海に出発。223日間を費やして、日本最南端波照間島から出発し日本最北端宗谷岬の日本列島縦断4,400kmに成功。98年夏、伊豆半島松崎に居を移し「西伊豆コースタルカヤックス」を主宰。2001年にはカナダ・クイーンシャーロット島にもシーカヤックで遠征をする。シーカヤックガイド・インストラクターの他に小学校での非常勤講師として授業を受け持っている。 |
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今から5年ほど前、シーカヤックと呼ばれる手漕ぎの小船で、日本最南端の有人島である波照間島から日本最北端宗谷岬までの4400kmを、223日間を費やし全くの人力だけで旅したことがある。「旅」というとなんだか気楽に聞こえるが、以外と知られていないことに、日本近海というのは世界のヨットマンや船乗りにも「荒海」で有名なのである。その荒海を作っている3大要素の一つに「海流」があるのだが、この旅の中で鮮烈に残る自分自身の記憶にもまた、その海流と呼ばれる「黒潮」があった。
黒潮の流れつく先に、美しいクイーンシャーロット諸島がある。
黒潮。海流と呼ばれるものの一つで、それは海の中を流れる大きな川と考えるとわかりやすい。日本近海では西表島の北から北東に流れて進み、鹿児島のトカラ列島をのみ込むように流れ、本州近くでは和歌山県南端潮岬、そして僕が住んでいるここ伊豆半島南端をかすめるようにして千葉県沖を東北東に向かって進んでいく。そのスピードは時速2キロから5キロ程で、今から10年前に自身がシーカヤックを始める場所ともなり、2年間住んでいた第二の故郷カナダの西海岸に辿り着くのである。そのカナダ西海岸を北上しアラスカとの国境近くに約150の島々からなるクイーンシャーロット諸島と呼ばれる場所がある。樺太北部と同緯度といえばだいたい理解できるだろうか?
年間平均気温は7度前後だが、日本からの温かい黒潮が流れつくため雪も少なくこの緯度にしてはさほど寒くもならない。特筆すべきはとにかく雨が多いことで、その豊富な雨が苔を作り、「レインフォレスト」と呼ばれる深い森を作りあげている。 雨上がりなどは神秘的で、とても美しい島だ。またこの島々では古くからハイダ民族と呼ばれる先住民族が住んでいて、その彼らの象徴でもあるのが「トーテムポール」と言えば知っている方も多いはずだ。しかし、ある時期のたった100年程の短い期間で、彼らはその独自の文化と生活を簡単に失うことになる。先住民族の「文化」が滅びるということの多くのは、先住民族と新入民族間での「価値観」によるものが多い。そもそもハイダ民族の「共有」するという「価値」の元へ「所有」するという新しい文化の波がそれら全てを飲み込んでしまったのだ。島が発見されてからの瞬く間に、「共有」するという価値から「所有」するという価値に強いてかえられてしまった。原生林の乱伐はまさにその全てを示すものだ。今では朽ち果てかけたトーテムポールが世界遺産に登録されたニンステンツ島に僅かに残ってはいるが、登録されたのはたかだか20年前の話である。
島の西海岸は、プラスチック製品で一杯だった。
2001年夏、このクイーンシャーロット諸島をシーカヤックで旅する機会に恵まれた。 先にも触れたが、日本列島縦断中に横断した黒潮がここに流れ着いている。その海をとにかく見たかったのだ。いよいよその島の西海岸(黒潮が流れついている場所)を漕ぎ、初日のキャンプ地へ上陸した時のことだった。上陸した海岸線を見て愕然とした事を覚えている。海岸は流れ着いているプラスチック製品(定置網ブイやペットボトル類)で一杯だったのだ。日本の海岸では残念なことに見慣れてしまって逆になんとも思わないのだが、そのほとんどが日本語やハングル文字のペットボトルだとわかった時は、本当にここへと黒潮が流れついているんだと感動したと共に、日本人として恥ずかしいと思ったのも正直な気持ちだった。まあ、場所が場所だけに僕の周りには誰一人の人間も居なかったのだが…。
このペットボトル。清涼飲料水をはじめ、様々な容器としてここ数年急増してきている。軽くて割れないことが便利な容器としての大きな理由だろう。また、この便利な容器は石油製品で、どんなに長時間野ざらしに放置されようが海を漂うが頑固なまでにその原型を留めたままで、決して自然界の力では分解されない。それが遠く日本からカナダの海へと漂い流れついてしまっている原因だ。
それでは、この便利なペットボトルが悪いのか?分解されない石油製品だから悪いのか?答えは全くNoだ。ここに流れついている全ての物の問題は我々1人ずつの「意識」にあるのだと思う。
先にも書いたが、僕はこれまで日本をはじめ、北米を中心に川と海をかなりの移動距離をシーカヤックを使って旅をしてきた。先ず祖国日本の海岸線で気がつくことは、海岸線のゴミ(石油製品)の量が尋常でないこと。逆に、ゴミの無い海岸を探すほうが難しい。もっと言えば目に見えるゴミだけでなく、海に住む魚介類を食して病気になった例はいくつかあるが、これも工場等からの有害排水などが流され最終的に海に辿りついたもので、捨てられたものと同じだ。
物事の考え方を根本的に見直さなければならない時期がやってきた。
そしてペットボトルといえば「リサイクル」という言葉も頻繁に耳にする。ただ、この「リサイクル」というと「循環」しているような聞こえの良い言葉には、実際大きな問題があるように思えてならない。確かにペットボトルは再利用するために近頃では色々な分け方がある。リサイクルされたペットボトルは新たに姿を変えて様々な商品として消費者の前に現れることになる。しかし、実際にはこの「リサイクル」として新たな商品が出来あがるまでには、大量のエネルギーと決して安くはない金が必要になってくる。したがって、「リサイクル」商品は無駄なく効率良くという感じがあるが、上記の理由から思ったほどリサイクル商品というのは安価ではないことに気がつく。むしろ物によってはリサイクルせずに新しくそのもの自体を最初から作ったほうが安価でできる物もあるという。
そして最終的に問題なのが、石油製品はいくら形を変えても石油製品からは変われないということ。何時か捨てる時がやってくることには違いがないのだから、形が変ろうともその場しのぎのゴミへの先送りにしかならない「リサイクル」であることにも気がつくだろう。
また、苦肉の策というか資源再利用には4つのRというのがあって、1、refuse(拒否)2,reduce(減らす)3,reuse(再使用)4,recycle(再生利用)がそれらしい。確かに尤もらしく聞こえる。が、先にも書いたが、石油製品は地球上の力では絶対に自然界に戻らない。考え方を変えれば、このままいくといずれ石油製品で溢れかえり人間はこれに溺れる時がやってくるのではないかと思う。すなわち物事の考え方を途中ではなく根本的に見直さなければならない時期がいよいよやってきたということだ。それには「再検討」で、5つめのR、reviewが必要だと思う。それは、これまでの、生産して物質を生み出すことから得る豊かさや便利さ、そして使い捨ての時代から、「物を大切にする」という元来日本人の持っていた「心」を取り戻し、失いかけてきている日本人としての文化ごと取り戻さなくてはならないような気さえする。既に気がつきはじめている人間も多いはずなのだが、この根本的な心の問題をいつまでも後送りにしているといつかペットボトルよりもはるかに大きな問題にこの先日本は悩み続けなければならない時代がやってくるような気がする。
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